清少納言『枕草子』『枕草子』といえば、「をかし」の文学。なんて習ったね。清少納言は感性の人だという意見がありますが。 たしかにそれはあると思う。でも「清少納言」という一人の作者が『枕草子』を書いたとは限らないんだよね。まあ、多くの古典作品は、みんなそうだけどね。 筆で書き写してる間に、「こっちの方がいいじゃん?」とか、「こういう話も付け足しちゃえ!」とかなっていったんだろうなって本や、はたまた、居眠りしながら書いたのね~(字汚いし、間は抜けてるし…)っていう感じの本も、見受けられます。それは、一冊の教科書じゃ決してわからない世界。いくつかの参考書を読み比べると、時々、本文が違ってることがあるでしょう。あれがそうなんですよね。 今日、ずっと考えていたのは、次の段。 近くて遠きもの。宮のべの祭。思はぬはらから、親族の仲。鞍馬の九十九折(つづらおり)といふ道。師走のつごもりの日・睦月のついたちの日のほど。 遠くて近きもの。極楽。船の道。人の仲。(160・161段、三巻本) 近くのきょうだい・親戚より遠くの他人、てことね。 くねくねとのぼってく山道は、なるほど、頂上までなかなか着かないわよねえ。大晦日と元日も、たった一日しか違わないのに、ぜ~んぜん違う。だって、年が変わるんだもんね。 「人の仲」は「男女の仲」となってる種類の本もあったかな? たしか。 どっちにしても、意味深ね。 極楽は案外近い、かあ。 そういや、『伊勢物語』の「昔・男」も、言ってたわ。辞世の歌ね。 「つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを」。 いつのまにか、その日は来てしまうのね。知らないうちにね。 近いようで遠い。遠いようで、近い。 な~んだ。清少納言、さすがね。分かってるう。(←何様?) |